第2回 「成果主義は手段に過ぎない」

1、年功的な制度は悪か?

強い会社を作るという目的を達成できる制度であれば、それが良い賃金制度です。
年功的な制度が悪で、成果主義が善であると決め付ける事はできません。たとえ、年功的であっても強い企業作りに役立っている制度があるとすればそれは素晴らしい制度です。そもそも年功的とはどんなことを指し、実力主義とか成果主義とかは何をさすかを我々は何も定義せずに、勝手なイメージで用いているに過ぎません。
「うちは年功的だけど、問題ないよ」とおっしゃるケースには、多くの場合、強いリーダーシップに裏打ちされた安定的な実力主義という実態があります。それを年功的と呼ぶかどうかは別として、要は中身であり決してラベルの問題ではありません。
逆に実力主義というラベルであるにもかかわらず実態は「ぬるま湯的な年功主義」という制度もたくさん見てきました。
年功的と感じている制度であっても強い企業作りという視点で十分に機能している制度であれば、それは間違いなく良い制度です。

ただし、年功的だと感じているだけの制度と本当に、ぬるま湯的な年功主義の制度とは全く別物です。強い企業を作るという目的を達成するためには、本物のぬるま湯的な年功主義はもちろん、ダメにきまっています。

2、成果主義が目的化する事の危険

仮に年功主義と実力主義の二者択一をもとめられれば、当然、私も実力主義を選択します。会社を強くするという目的と、本物のぬるま湯的な年功主義とが矛盾する事は誰が考えても明らかです。
当然、制度の見直しを考える場合には、実力主義とか成果主義とかいわれる制度になります。

しかし、実力主義とか成果主義が目的化すると、思わぬ問題を引き起こします。実力主義や成果主義とは、格差を許容する制度です。一般に、実力や成果は全員同じにはなりません。能力にも差がありますし、成果に差ができるのもやむを得ないことです。これらの差を賃金にも反映させようというのが実力主義や成果主義です。この考え方は正しいと思います。
しかし、格差を許容する制度がいつの間にか、格差をつけること、格差を大きくすることが成果主義であり、格差をつけなければ実力主義でも成果主義でもない、という誤った認識につながってしまうことが危険なのです。

そうなると、成果主義=社員間の格差を大きくするためだけの制度になってしまいます。ひたすらに大きな格差をつける事が目的化されてしまいますが、それがほんとうに企業の力を強くするという目的に合致しているかどうかは保証の限りではありません。
もちろん、社員間に一定のメリハリある格差は必要ですし、やむを得ないと思います。しかし、実力主義や成果主義で重要なのは、社員間の成果による格差付けよりも、むしろ企業間の成果による格差付けです。
「社員間の成果を競う制度」よりも「ライバル企業との成果を競う制度」が実力主義や成果主義の本質だと思います。
この本質から外れてしまうと、成果主義は間違った方向に進む事になってしまいます。敵は社内の同僚ではありません。ライバル企業こそが敵であり、全社を上げて、この敵に向かう制度でなければ企業力を強化するという目的から外れてしまいます。
実力主義や成果主義が単なる社内の格差付けのための道具になってしまっては、強い企業を作るという真の目的は達成できなくなってしまいます。

社員間の格差付け以上に重要なのは、ライバル他社との格差です。他社に負けない強い企業作りを実現して、他社の賃金水準に格差をつけること、それこそが本当の実力主義であり成果主義だと思います。


本ページの無断転載を禁じます


社長コラムトップへ戻る